七十二候

 初春:旧暦一月(睦月)、新暦二月
春を迎えた喜びと年が改まった晴れやかさが重なり最もはなやぐ時期だった。睦月のほかに「早緑月」ともいい、木や草がわずかに緑を帯びる頃。

立春(新暦二月四日頃)
立春というのは、「春の気立つをもってなり」となっております。春が訪れる・・・。一度、そう意識してしまうと、もう心は、春へ春へと向かっていくのですね。東から吹く春の風と、いつしか薄くなっている氷に、春の兆しを感じています。やがて、鶯の初音が聞こえ、魚たちが水面に泳ぎ出てきます。どれも、昨日までと同じ気持ちで過ごしていれば、気づかなかった小さなできごとです。でも、昔の人にとっては、今日から特別な日。春が生まれた日なのです。

第一候 東風解凍(はるかぜこおりをとく)春を呼ぶ風が氷を解かす時期
第二候 黄鶯睍睆(うぐいすなく)鶯が鳴き始める時期
第三候 魚上氷(うおこおりをいずる)氷の間から魚が飛び跳ねる時期

雨水(新暦二月十九日頃)
「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」。地上にも、いよいよ陽気が発生し、雪や氷はとけて、雨や水になります。もしかしたら、この頃が、一番大地の息づかいを意識する意識する時期だったのかもしれません。雨水の初侯にも、「土脉(つちのしょう)」という表現が見られます。大地が目覚め、潤い始めると、水蒸気が立ちのぼり、霞がたなびき始めます。そして、なによりうれしい草木の芽吹き。日に日に、淡く萌したやさしい緑が目立つようになります。この時期になると、多くの人が、春の鼓動を感じることが出来るのではないでしょうか。

第四候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)土が湿り気を含み出す時期
第五候 霞始靆(かすみはじめてたなびく) 霞がたなびき始める時期
第六候 草木萌動(そうもくめばえいずる)草木が芽を出し始める時期



 仲春:旧暦二月(如月)、新暦三月
木々に目を向けると、日に日に芽がふくらむ頃です。そんな如月には「木芽月(このめづき)」という異称がぴったりではないでしょうか。みずみずしい木々の芽は、美しさと同時に、力強さも感じさせてくれるものです。万物を成長させる恵みの風を「恵風(けいふう)」といいます。この恵風も、そのままこの月の異称になっています。私たちの心にも、恵風が吹いてくれるといいですね。

啓蟄(新暦三月六日頃)
昔は、昆虫だけでなく、蛇や蛙なども虫といいました。「陽気地中に動き、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」とあるように、冬籠りをしている虫のことを「ちぢまる虫」といっています。いかにも寒さに耐えている様子が目に浮かびますね。そんな虫たちも、土の中に届いた温かい気配を感じて、穴の中から這い出してくる頃です。しばらくすると、桃の花がほころび始め、青虫が蝶に変身して、夢見るように舞い始めます。春の役者たちが、次第に顔をそろえて、七十二候にも、春らしい色が感じられるようになってきました。

第七候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)地中の虫が外に這い出す時期
第八候 桃始笑(ももはじめてたなびく)桃の花が開き始める時期
第九候 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)青虫が羽化して蝶になる時期

春分(新暦三月二十一日頃)
「日天の中を行て昼夜等分の時なり」。つまり昼と夜の時間が等しくなる日です。これは、秋分も同じ。また、太陽が真東からのぼって真西に沈むのも、春分と秋分です。この両日は、極楽浄土に最も近づける日と考えられ、「彼岸」と呼ばれてきました。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉どおり、ようやく気温が安定する頃です。雀が巣作りを始め、いよいよ桜の季節。他の花々も咲き始め、この世の春を謳歌するようです。天文学的には、この春分から夏至の前日までが「春」となります。多くの現代人は、この感覚かもしれませんね。一方、雷も鳴りやすくなる時期です。

第十候  雀始巣(すずめはじめてすくう)雀が巣を作り始める時期
第十一候 桜始開(さくらはじめてひらく)桜が咲き始める時期
第十二候 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)雷が鳴り始める時期



 晩春:旧暦三月(弥生)、新暦四月
春たけなわのこの時期が晩春です。咲き誇っている桜が、散る時期ともいえるでしょう。桜のことを夢見草ともいいます。夢のようにはかなく散っていくから・・・。そして「夢見月」は、この月の異称です。それにしても、不思議と春は短く感じられます。「春惜月(はるおしみづき)」とも呼ばれるこの月。行く春を惜しむ気持ちはつきません。

清明(新暦四月五日頃)
「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草と知れるなり」となっています。清浄明潔は、清らかで、明るいことです。そして、「清明」は、この清浄明潔の略だといわれます。また、芽生えた草木も、それぞれの名前がわかるほどに、個性を発揮する時期だといっています。すべての命が、いきいきと輝き出す季節といえるでしょう。一方、この時期の七十二候は、空に目を向けます。燕が渡ってくる空、雁が帰っていく空、そして、虹がかかる空・・・。出会いと別れを暗示しながらも、希望を感じさせる空。私たちの人生とも重なるようです。

第十三候 玄鳥至(つばめきたる)燕が渡ってくる時期
第十四候 鴻雁北(こうがんかえる)雁が北へ帰っていく時期
第十五候 虹始見(にじはじめてあらわる)虹が出始める時期

穀雨(新暦四月二十日頃)
虚空は、百穀を潤す雨のことです。百穀とは、数多くの穀物のこと。人類が主食としてきた米、麦、粟、稗、黍、豆などの類をいいます。「春雨降りて百穀を生化すればなり」となっています。煙るように降る春の雨。百穀だけでなく、さまざまな植物を生み、育んでいきます。水辺では、葦がつんつんと、とがった芽を出す光景が見られることもでしょう。植物の大敵である霜も、ようやく降りなくなり、稲の苗がすくすくと伸び行く季節を迎えます。やがて百花の王と呼ばれる牡丹が華麗な花を咲かせる中、たけなわの春は去っていくのです。

第十六候 葭始生(あしはじめてしょうず)葦が芽吹き始める時期
第十七候 霜止出苗(しもやみてなえいずる)苗代で稲がいきいきと育つ時期
第十八候 牡丹華(ぼたんはなさく)牡丹の開花が見られる時期



 初夏:旧暦四月(卯月)新暦五月
卯の花が咲き始める季節です。卯月という月名も、「卯の花月」が縮まったものだといわれます。まぶしい空に映える純白の花は初夏の象徴のようです。空が晴れ、和やかなことを清和といいます。そんな日が多いからでしょうか。「清和月」という異称もあります。

立夏(新暦五月五日頃)
「夏の立つが故なり」。とくに説明の必要もないほど、季節にぴったりだということかもしれません。新緑の香り、すがすがしい風、まぶしい陽射し・・・。初夏らしい晴れた日が続きます。旧暦の時代、梅雨の晴れ間という意味だった「五月晴れ」という言葉が、この頃のさわやかな晴天という意味でも使われるようになりました。七十二候は、蛙が泣き始め、蚯蚓が姿を見せ、タケノコが生え始める時期となっています。湿気の多い日本の夏・・・。それを象徴するかのような生き物たちが並んでいますね。

第十九候  鼃始鳴(かわずはじめてなく)蛙が鳴き始める時期
第二十候  蚯蚓出(みみずいずる)蚯蚓が地上に這い出す時期
第二十一候 竹笋生(たけのこしょうず)筍が生えてくる時期

小満(新暦五月二十一日頃)
麦の穂が実り、少し満ちてきた・・・。これが、小満の本来の意味だそうです。いつしか、「万物が次第に成長して天地に満ち始める時期」と解釈されるようになりました。「万物盈満すれば草木枝葉繁る」と記されています。「盈満」は、満ちあふれること。命があふれんばかりに躍動する時期ということでしょう。とくに植物は精気にあふれ、やわらかな若葉が、滴るような青葉になります。卵からかえった蚕が、桑を食べ始めるのもこの時期から。かつては、日本中どこでも、桑畑や蚕が見られました。そして、紅花が咲き、小満の由来にもなった麦が、実りの季節を迎えます。

第二十二候 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)孵化した蚕が桑を食べる時期
第二十三候 紅花栄(べにばなさかう)紅花が盛んに咲く時期
第二十四候 麦秋至(むぎのときいたる)麦が実る時期



 仲夏:旧暦五月(皐月)、新暦六月
現代では、皐月は初夏のようなイメージになっていますが、本来は梅雨の季節。梅雨のことを五月雨といったので、この月は「五月雨月」ともいいます。田植えも始まる頃。この頃の苗を、早苗といいます。そこで「早苗月」という異称も付きました。田植えを終えた水田に揺れるやわらかな緑・・・・。いつ見ても、すがすがしく眺められる風景ですね。

芒種(新暦六月六日頃)
「芒(のぎ)」は、イネ科の植物に特有の、細い毛のような部分のことです。「芒ある穀類、稼種する時なればなり」。つまり芒種は、穀物の種をまく時期という意味です。とはいえ、実際には、麦は刈り取りの時期、稲は田植えの時期を迎えます。いつ、梅雨入りしてもおかしくない気候になってきました。蟷螂が生まれるのも、螢が飛び交うのも、この季節です。「梅雨」と書くようになったのは、梅の実が熟する時期の雨だからといわれます。そのとおり、青い梅の実が、黄色をおびてくる時期になりました。何より、紫陽花が町を彩る季節ですね。

第二十五候 蟷螂生(かまきりしょうず)蟷螂が生まれる時期
第二十六候 腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)螢が光り出す時期
第二十七候 梅子黄(うめのみきばむ)梅の実が黄ばんで熟す時期

夏至(新暦六月二十二日頃)
夏至は、一年で一番、昼が長い日です。また、最も太陽の位置が高くなり、影が短くなる日とも言えます。暦の上では、ちょうど夏の真ん中。「陽熱至極しまた、日の長きの至りなるをもってなり」とあるのを見ても、いかにも、太陽の力が極まるような感じがします。ですが実際は、梅雨の真っ最中。太陽の姿さえ見えないかもしれません。七十二候には、夏枯草と呼ばれる靭草(うつぼぐさ)や、半夏と呼ばれる烏柄杓(からすびしゃく)など、現代では、あまりなじみのない、しかも地味な植物が登場します。その中で、菖蒲の仲間の花々のあでやかさが、ひときわ目立つように感じられます。

第二十八候 乃東枯(なつかれくさかるる)靭草(うつぼぐさ)が枯れる時期
第二十九候 菖蒲華(あやめはなさく)菖蒲の花が咲く時期
第三十候  半夏生(はんげしょうず)半夏(烏柄杓からすびしゃく)が生える時期



 晩夏:旧暦六月(水無月)、新暦七月
梅雨が明け、いよいよ本格的な暑さが訪れるのが、水無月です。涼しい風が吹くのを待つので、「風待月」ともいいます。蝉が盛んに鳴き始めるのもこの頃。「蝉羽月(せみのはづき)」という異称もあります。といってもこれは、蝉羽衣、つまり、薄物の着物を着る月という意味。昔の人は、透きとおった蝉の羽を美しいと思って見ていたようですよ。

小暑(新暦七月七日頃)
「大暑来れる前なればなり」つまり、本格的な暑さが到来する前の段階ということですね。そして、この日から暑中に入ります。小暑の初候も、ずばり、温風至(あつかぜいたる)。とはいえ、まだ大部分の地方で、梅雨が明けていない時期です。人々の関心も、暑さより、梅雨明けがいつになるかという方に向かっていることでしょう。そんな中、蓮が花を咲かせます。今も、昔と変わらない清らかさで、私たちの心を洗ってくれるようです。間もなくすると、この年生まれた鷹の幼鳥が、飛ぶことを覚えて、空に舞い上がる時期が訪れます。

第三十一候 温風至(あつかぜいたる)あたたかい南風が吹く時期
第三十二候 蓮始開(はすはじめてひらく)蓮の花が開き始める時期
第三十三候 鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)鷹の子が飛び方を学ぶ時期

大暑(新暦七月二十三日頃)
「暑気至りつまりたる時節なればなり」つまり、暑さが極限に達する時期ということです。梅雨も明け、強烈な日差しが照りつける日々が続きます。また、夏の土用とも重なる時期です。大暑の初候では、桐の花が咲く時期となっていますが、現在では、百日紅(さるすべり)や夾竹桃(きょうちくとう)の印象が強い季節ですね。何よりも、蝉の声が響き渡る時期というのが、ぴったりくるのではないでしょうか。蒸し暑い日が続きます。とくに現代の都会では、寝苦しい熱帯夜となることが多くなりました。また、時々大雨が降るのも、この季節の特徴です。

第三十四候 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)桐の花が実を結ぶ時期
第三十五候 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)土が湿り蒸し暑くなる時期
第三十六候 大雨時行(たいうときどきにふる)大雨が時々降る時期



 初秋:旧暦七月(文月)、新暦八月
暦はもう秋を告げます。本来の七夕は、この時期。月の異称にも、「七夕月」「七夜月」など、七夕に関する名前が多くみられます。文月も、七夕の夜に書を広げて夜気にさらす「文披月(ふみひろげづき)」を短縮したものだといいます。また「愛逢月(めであいづき)」というロマンティックな異称も。空を見上げ、さまざまに思いをはせるひとときが、秋の始まりだったのですね。

立秋(新暦八月八日頃)
立春以上に、現代人にとって、違和感を覚えるのが、立秋かもしれません。立春の時と同じように、「初めて秋の気立つが故なればなり」。とはいえ、秋の気配さえかんじられないというのが、実感ではないでしょうか。ただ、昔は、日が落ちれば、心地よい風が吹き始める時期だったのかもしれません。今でも、蜩の声が聞こえてくるような場所なら、そんな涼風を感じることができるのではないでしょうか。立秋の末候ともなれば、ところによって、深い霧も立ち始めます。やがて、蝉時雨も弱まり、太陽の光に衰えも見え始め、小さな秋が少しずつ見つかるようになることでしょう。

第三十七候 涼風至(すずかぜいたる)涼しい風が吹き始める時期
第三十八候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)蜩が鳴く時期
第三十九候 蒙霧升降(ふかききりまとう)深い霧が立つ時期

処暑(新暦八月二十三日頃)
「処」は落ち着くという意味を持った漢字です。「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすればなり」とあるように、暑さがおさまる時期ということです。まだ残暑は厳しいかもしれませんが、朝夕に、涼しさを感じる日もでてくることでしょう。処暑の初候では、綿の実がはじけて、ふんわりとした綿花が顔をのぞかせる頃となっています。秋の花が咲きそろってくる時期ともいえますね。そして、空気が澄みきってくると、いよいよ稲が実りの時を迎えます。ただ、台風の被害を受けやすいのもこの頃。警戒が必要な時期となります。

第四十候  綿柎開(わたのはなしべひらく)綿花の実が弾け綿花がのぞく時期
第四十一候 天地始粛(てんちはじめてさむし)暑さの勢いが落ち着く時期
第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる)稲が実る時期



 仲秋:旧暦八月(葉月)、新暦九月
月が最も美しいとされる時期。ですから「月見月」ともいいます。十五夜の名月はもちろん、日ごとに満ちていく上り月の頃から、雨や雲で見えなくても、また欠け始めても、人々は月を意識して過ごしたようです。ようやく暑さも和らいで、しおれていた草や葉が活力を取り戻す頃。「草津月(くさつづき)」「壮月(そうげつ)」という異称もあります。私たちにとっても、いきいきと過ごせる時期ですね。

白露(新暦九月八日頃)
「陰気ようやく重なりて露凝りて白色(はくしき)となればなり」。ここでいう陰気は、陽気とともに万物を構成している気のことです。春夏は陽、秋冬は陰とされます。ようやく秋めいてくる時期。空気中の水蒸気が冷えて露となり、白く見えるといっています。太陽の光をあびて、一面の露がきらきら輝いている光景が目に浮かぶようです。月が美しく眺められるのもこの頃。白露の次候では、鶺鴒(せきれい)が鳴くとなっていますが、これは、昔と状況が変わっているのかもしれません。でも燕が南へ渡っていくのは、今も昔もこの時期ですね。

第四十三候 草露白(くさのつゆしろし)露が白く光って見える時期
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)鶺鴒が鳴く時期
第四十五候 玄鳥去(つばめさる)燕が南の国へ渡っていく時期

秋分(新暦九月二十三日頃)
「陰陽の中分なればなり」となっています。暦では秋のまん中。春分と同じく、昼と夜の時間が等しくなり、太陽が真東からのぼって、真西に沈む日です。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、秋にもあてはまります。ただ歳時記では、単に「彼岸」といえば春をさすので、区別するために「秋彼岸」「のちの彼岸」といいます。天文学的には、秋分から冬至の前日までが「秋」。これも、多くの現代人の感覚と一致するのかもしれません。雷が鳴らなくなり、虫たちも、そろそろ冬籠り。稲刈りに備えて、田の水を抜くのも、この頃です。

第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)雷が鳴らなくなる時期
第四十七候 蟄虫坯戸(むしかくれてとをふさぐ)虫が冬支度を始める時期
第四十八候 水始涸(みずはじめてかるる)水田を干し稲刈りに備える時期



 晩秋:旧暦九月(長月)、新暦十月
寂しさをそそる晩秋という言葉ですが、実りの季節とも言えます。「小田刈月(おだかりづき)」、つまり稲を収穫する月です。また、菊も咲き始めるので「菊月」。木の葉が染まりだすので「色取月」。さまざまな果実も実りのときを迎えて、本当に彩り豊かな頃ですね。何かに打ち込むのにもうってつけ。心も豊かに過ごせる時期のようです。

寒露(新暦十月八日頃)
寒露は、冷たい露という意味です。「陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすればなり」。白露の頃、きらきら輝いて見えた露も、寒々として眺められるようになったということですね。とはいえ、現代の感覚では、暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい時期です。かつては、この頃になると、日本各地に、雁が渡ってきたのでしょう。今でも鴨の仲間をはじめ、冬鳥たちが、続々と渡ってきます。そして、菊のシーズン。かつての菊の節句(重陽)は、この時期でした。ひんやりとした秋の夜長。蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声が心地よく響きます。

第四十九候 鴻雁来(こうがんきたる)雁が北の国から渡ってくる時期
第五十候  菊花開(きくのはなひらく)菊の花が咲き始める時期
第五十一候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)秋の虫が戸口で鳴く時期

霜降(新暦十月二十三日頃)
「露が陰気にむすぼれて、霜となりて降る故なり」霜降の字のとおり、霜が降りる時期です。北国から、初霜の便りが届き始めることでしょう。日増しに気温が下がり、何より、日脚の短さを痛感する頃。少し感傷的になってしまう人もいるかもしれません。時々、時雨が降るのもこの時期。その雨に染められるように、楓や蔦が色づいていきます。ほかの木々も美しく装い、いよいよ秋のフィナーレです。鮮やかな彩りの中、行く秋が惜しまれます。昔なら、冬支度を急いだ時期でもあったのでしょう。

第五十二候 霜始降(しもはじめてふる)霜が降り始める時期
第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)小雨が時々降る時期
第五十四候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)紅葉が深まる時期



 初冬:旧暦十月(神無月)、新暦十一月
初冬の天候は、時雨がち。「時雨月」という異称がつきました。とはいえ、晴れると、穏やかで春のような日になることも多いのが特徴です。「小春」はそんな日和のことですが、そのままこの月の異称になっています。神様が出雲で、縁結びの相談をする月だともいわれます。涙雨になるか、心晴れになるか、気がもめるところかもしれませんね。

立冬(新暦十一月七日頃)
暦では、この日から冬となります。例年、木枯し一号が観測されるのは、この時期。「冬の気立ち初めて、いよいよ冷ゆればなり」とあるように、次第に冷え込んでくることでしょう。七十二候では、まず冬を告げる花として、山茶花があげられています。寒冷地では、大地が凍り始める頃でしょうか。立冬の末候では、水仙が咲き始めるとのこと。早咲きの水仙かと思いますが、それよりも、まだまだ、晩秋の装いが色濃く残っている時期です。はらはらと舞い落ちる紅葉や黄葉が、かろうじて、冬が来たことを告げているようです。

第五十五候 山茶始開(つばきはじめてひらく)山茶花が咲き始める時期
第五十六候 地始凍(ちはじめてこおる)大地が凍り始める時期
第五十七候 金盞香(きんせんかさく)水仙が咲く時期

小雪(新暦十一月二十二日頃)
「冷ゆるが故に雨にも雪となりてくだるが故なり」。北国や山岳地帯では、雪が見られるようになる頃です。そんな雪が風に運ばれて、平地でも、風花(かざはな)が舞うかもしれません。まるで花びらのように、ちらちらと舞う雪片のことです。雨が降らなくなるため、虹も見られなくなります。そして、北風が木の葉を舞い散らしていきます。この時期、平地では、雪の季節というより、落葉の季節という方がぴったりくるのではないでしょうか。小雪の末候では、橘に代表させていますが、そのほかのみかんの仲間も、黄色く色づく季節を迎えます。

第五十八候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)虹を見かけなくなる時期
第五十九候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)北風が木の葉を散らす時期
第六十候  橘始黄(たちばなはじめてきばむ)橘の実が黄色く色ずく時期



 仲冬:旧暦十一月(霜月)、新暦十二月
冬も半ば。冷え込みが厳しくなると、霜の季節です。霜月は「霜降月」もこの月の異称。葉の上によく見られた露が、隠れてしまう月だというのです。つまり、霜に変わるからですね。「雪見月」「雪待月」ともいいます。雪は豊作のしるしといわれ、心待ちにされました。雪見の宴も催されたようです。

大雪(新暦十二月七日頃)
「雪いよいよ降り重ねる折からなればなり」とあるとおり、もう、雪が降り積もっている地方もあることでしょう。この時期になると、日に日に寒さが増していきます。山では、熊をはじめ、さまざまな動物が冬眠をする頃なのでしょう。そして、海で育った鮭が、生まれた川に戻ってくる頃でもあるのですね。産卵のため、群れをなして上流を目指し、命を終える・・・。壮絶な旅の始まりです。まるで、遠い地方におもいをはせるようなこの時期の七十二候。一方、現在の都会では、十二月に入り、慌ただしさを増すとともに、はなやかににぎわう季節を迎えます。

第六十一候 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)重い冬雲が空を覆う時期
第六十二候 熊蟄穴(くまあなにこもる)熊が冬眠に入る時期
第六十三候 鱖魚群(さけのうおむらがる)鮭が群れをなして川を上る時期

冬至(新暦十二月二十二日頃)
「日南の限りを行て(ゆきて)、日の短きの至りなればなり」。つまり、太陽の高さが最も低くなり、昼の時間が一年で一番短くなる日です。この日を境に、日脚が伸びていくわけですが、寒さは厳しさを増す頃。この時期の七十二候を見ると、靭草が芽を出したり、箆鹿(へらじか)の角が落ちたり、雪の下で麦が伸びたりと、直接目にしづらいような事柄が並んでいます。旧暦の時代と違い、現代では、この時期が、年の瀬から、新年へと移り変わる時期です。クリスマスも加わって、活気づく街は、夜も昼のよう。復活し始めたばかりの太陽も、驚いているかもしれませんね。

第六十四候 乃東生(なつかれくさしょうず)靭草(うつぼぐさ)が芽を出す時期
第六十五候 麋角解(さわしかのつのおつる)大鹿の角が落ちる時期
第六十六候 雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)雪の下で麦が伸びる時期



 晩冬:旧暦十二月(師走)、新暦一月
旧暦の時代は、番頭は一年の終わりでもありました。月の異称にも、年末にふさわしい名前が並びます。一年が満ちていくと考えた「年満月(としみつづき)」。旧年を除くという意味で「除月(じょげつ)」。「年世積月(としよつむつき)」ともいいます。そして「春待月(はるまちづき)」。最も寒さの厳しい季節・・・。春を待つ思いは、今も昔も変わらないことでしょう。でも、春は隣まできています。

小寒(新暦一月五日頃)
「冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故、ますます冷ゆるなり」。冬至を過ぎ、陽の気が起こると、それに対抗して陰の気が強くなり、ますます冷えると考えられたようです。この日から「寒の入り」。寒さが厳しい時期ですが、まだ新年を迎えたあとの、新鮮な気持ちが残っていることと思います。身も心も引き締めて過ごす時期といえるでしょう。春の七草のひとつ、芹が競うように生える頃。現代の七草粥は、ちょうどこの時期に食べることになりますね。この時期の七十二候では、それに続いて、泉の水が温かさを含むようになり、雉が鳴くとなっています。

第六十七候 芹乃栄(せりすなわちさかう)芹が盛んに生える時期
第六十八候 水泉動(しみずあたたかをふくむ)凍った泉で水が動き始める時期
第六十九候 雉始雊(きじはじめてなく)雉が初めて鳴く時期

大寒(新暦一月二十日頃)
「冷ゆることの至りて甚だしきとなればなり」という言葉そのまま、最も寒さが厳しい時期です。とはいえ、蕗の薹が雪の間から顔をのぞかせ、春が近いことを教えてくれます。まだ沢の水は、厚く凍りつめていることでしょう。ですが、大寒の末候は、鶏が卵を産み始める頃となっています。新たな希望を予感させる言葉ですね。大寒も終わりに近づいたころの季語に、「春隣(はるとなり)」があります。そう、どんなに寒くても、大寒の次は、立春。再びめぐってくる春とともに、また、命の営みが繰り返されていくのですね。

第七十候  欵冬華 (ふきのはなさく)蕗の薹が顔を出す時期
第七十一候 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)沢に氷が張りつめる時期
第七十二候 雞始乳 (にわとりはじめてとやにつく)鶏が卵を産み始める時期

タイトルとURLをコピーしました